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音楽フェス「だけ」に行く人の是非

togetter.com


このtogetterを読んだ。
かいつまんで言うと「フェスは見本市みたいなもんだから、気に入ったらワンマンにも行ってあげてね」と言う話だと思う。

おっしゃることは最もで、その通りだと思う。

その一方で、ワンマンライブと音楽フェスは、似ているようでもはやまったく別のものではないかなと思う。
音楽フェスではワンマンライブでは出来ないことができるからだ。

・普段大きい会場でしかやらないアーティストが近くで見れる
・スタンディングライブしかやらないアーティストが座ってゆっくり見れる
・子供と一緒に行ける(野外フェスなどの場合)

などなど、他にも色々あるが、音楽フェスにはワンマンライブには無いメリットがたくさんある。(もちろん逆もしかり)

私はどちらかと言うと音楽フェス「だけ」しか行かない方の人種だ。
ワンマンライブとまったく一緒の条件の音楽フェスばかりであれば「気に入ったらワンマンへ」なのだが、そもそも視聴方法?そのものが違う形態な限りは、「どちらかだけ」の人種が生まれてしまうのは仕方がないのではないかと思う。

例えば、私はライブの「2~3時間」を、いつも長いと思っている。
どうしても、集中力が持たないのだ。
「好き度が足りないだけだ」と思われるかもしれないが、どんなに好きなアーティストで最高のライブだったとしても、やはり2時間は「長いな」と思う。疲れてしまう。

ワンマンライブでしか表現できない世界観がある。2時間の中で組み立てられた構成がある。それももちろん理解している。
それでも、私のような人間には1組30分程度の持ち時間の音楽フェスが楽しみやすく、好きだと思う。

「好みの問題」と一言で片づけてしまっては身も蓋もないが、自分の楽しみ方にフィットしているので音楽フェスに「だけ」行く人種もいるし、それは「気に入ったらワンマンに行く層」とはそもそも違う人種なんだと思ってもらった方がいいんじゃないかなと思ったりする。

ドラマ「相棒」の最強の"新相棒"は天才キャラだと思う

テレビドラマ「相棒」が好きで昔は良く見ていた。
今はあまり見ていない。ワンパターン化されてしまってつまらなくなったと感じているからだ。

主人公の杉下右京の「相棒」はすでに3回変わっている。
相棒の代替わりの際は、いつも新相棒が誰になるのか話題になるが、「誰が」は話題になるが「どんなキャラが」と言うのはあまり聞かない。

初代相棒の熱血キャラ亀山くん以降、主人公を引きたてるためかどんどん相棒のキャラは薄くなっていってる気がする。
それがドラマとしてのワンパターン化を加速させている。

シーズン15ともなると、視聴者が飽きるのも当然だろう。
右京さんも、正直言ってもうかなりのお年だ。
ここらでグッと個性的な「新相棒」を登場させ、ドラマをリフレッシュする必要があるのではないかと、最近相棒を見なくなった私は思う。

前々から、新相棒にはどういうキャラクターがいいか、ずっと考えていた。
今日は「ぼくの考える最強の新相棒」を発表しようと思う。

1.右京さんと同レベルの頭脳を持った新相棒

今まで、ドラマの中で主人公の右京さんはいわゆる「天才」的な立ち位置にいた。
相棒含め、周りの人はみな、右京さんの頭脳に唸り、感心し、一目置くような関係だった。

ここに、右京さんと同レベルの頭脳を持った新相棒を持ってきて欲しい。

右京さんは、初めて自分と同レベルの天才と組み、お互いの能力に驚きつつ認め合う関係を築いて欲しい。

天才と言うのは孤独なものだ。
今まで、どの相棒も右京さんの頭脳に付いてこれるものはいなかった。
神戸くんなんかは良き理解者ではあったけれど、時には右京さんの上を行くような頭脳が欲しい。
そこで右京さん(とその新相棒)ははじめて、自分の頭の回転についてこれる人間と語り合える喜びを知ることになる。
生き生きとした右京さんの、新しい一面も見れると思う。

全体的な構図としては、ものすごいスピードで論理を展開する二人、まったく付いていけずポカンとする捜査一課、天才の競演を眺めて大興奮の米澤さん、のような布陣でお願いしたい。どうだ、萌えるだろう。

2.若き理系男子の新相棒(英国紳士修行中)

これもまた天才系のキャラクターになってしまうが、天才は天才でも少年(青年)キャラだ。

未成年を警察官にするのは難しいと思うので、警察官になれるギリギリの歳にして欲しい。
そんな制度はないが「飛び級で特別に最年少入庁」みたいな設定だとなお良い。

この新相棒は、数学の天才だ。天才ハッカー()とかでもいい。とにかくロジカルでしか物を考えられないマンであって欲しい。
天才は天才だけど、人の気持ちがいまいちわからない、みたいなメガネキャラで、右京さんが紅茶を入れるのを見て「ペットボトルで飲んだ方が短時間で済むのに非効率ですね(メガネクイッ」とか言っちゃう。
だいたい「能力バトル漫画の眼鏡理系男子」でイメージするあの感じで、だいたいあってる。

これだけだと別に相棒に登場しなくてもいいキャラクターなのだが、この少年にはもう一つ設定があって、おじいちゃんが右京さんの古い友人で「こいつを一人前の英国紳士にしてやってくれ」とか頼まれる。

そこで右京さんが紅茶の香りを楽しむことや、英国紳士の粋なんかを教えてあげる。(ここで右京さんの見せ場も作れる)
最初は無表情だった少年は徐々に数字では割り切れないものを知るのだった…みたいなストーリー。
今までそう言った経験をした事がまったくない少年を、右京さんはクラシックのコンサートとか紅茶専門店とか、行きつけのスーツの仕立て屋さんとかに連れていく。ちょっとマイフェアレディみたいな…これでシニアの心も鷲掴みやでえ…。

毎回いろんな所に出向くので、殺人事件との遭遇シュチュエーションにも困らないと言うメリットもあります。

3.疑似親子関係の新相棒

ちょっと甲斐くんと被る気がするが、この新相棒のテーマは「右京さんとの疑似親子関係」だ。
親に愛されず、人を信じることをやめた新相棒が、特命係で過ごすうちに右京さんを父のように慕い、右京さんもまた実の息子のように支える関係となる。(親子であり相棒、みたいな)
貧乏で野生育ち、みたいな設定がいい。元暴走族とかヤンキーでもいいな…。

時に照れながら、時に喧嘩しながら、二人の距離が少しづつ、少しづつ縮まっていくのを見て(毎回そんな「ちょっといい」エピソードが入る)視聴者はその度に涙するのだ。
かなりお涙頂戴方向に持って行ってかまわない。そんなシーズンがあってもいいじゃない。
右京さんは子供がいないし、戸惑いながら共に成長していく、みたいなストーリー。

捜一の三浦さんに年頃の男の子との付き合い方とか相談しちゃたり、誕生日にもらったプレゼントを花の里で自慢する右京さんとか。シニアの心鷲掴みパート2。

【没案】

両方天才キャラになってしまったが、自分の中でいくつか没ネタもあるので一緒に披露したい。

1.右京さんのストーカー

警視庁に入ってからずっと右京さんのファンでストーカーをしていた新相棒。
憧れの右京さんのいる特命係に配属され、チェスをする姿をパシャパシャ写真に撮ったりしてたら面白いかな…と思ったんだけど、視聴者的には男であれ女であれストーカーなんて見てて気持ち悪いだけだと思うので没。

2.金田一耕介的な変人系天才

また天才になってしまった…もうほんと天才キャラじゃないとダメなんだよ…絶対面白くならないんだよ…。

天才は天才でも変人、奇人系のキャラクター。右京さんが逆に振り回される、という新しい展開が期待できる。
ただ、探偵ガリレオの湯川教授を思い浮かべれば分かる通り、こういうキャラクターが「変人だけど天才」と言う事を証明するには、彼自身が事件を解決する必要がある。(そうしないとただの変人だからね)
そのため、見せ場が全て相棒に行ってしまい、右京さんの見せ場が無くなってしまう。

また、金田一耕介のような不潔系奇人キャラだと視聴者の支持を受けられない可能性がある。そうするとイケメン奇人と言う最強のメインキャラが誕生してしまうので、これまた没にならざるを得ない。

新相棒の難しさ

相棒と言うのは、右京さんを引きたてることが大前提で、新たな一面を引き出さねばならない。
右京さんを食ってしまうようではダメなのだ。こう考えると個性的なキャラクターを相棒にするのはなかなか難しい。今の没個性的になった相棒の現状も良くわかる。

ちなみに、新相棒の話題になる度に、社美彌子の名前が挙がる。
社美彌子は好きだし、女性の相棒、と言うのはなかなか良いとは思うのだが、クールなキャラクターの社美彌子は右京さんと相性が悪い気がする。そこからの広げようがないと言うか。

かと言って「素直な頑張り屋さん」「ドジっ子」「悪女」、どのキャラクターも違うし、女性キャラクターで「自分も強烈な個性を出しつつ、結果的に右京さんを引きたてる」形にするのは非常に難しいと思う。ツンデレみたいのしても女性ファンの反感買うしね。

やっぱり天才キャラ、これしかないですよ。
なんなら1と2と3、全部混ぜてくれても構わないです。(設定詰め込み過ぎて失敗するパターン)

武井壮を見てブランド物をバカにしていた考えが少し変わった話

テレビを見ていたら武井壮が出ていた。
密着ドキュメンタリーのような番組だ。

武井壮と言うのはとにかく身体能力が高いスポーツマンのようなタレントで、「将来の夢は百獣の王」とかむちゃくちゃな事を言っているのに全然憎めないどころか応援したくなるという不思議なキャラクターだ。

私の中では「わざわざ追ってはいないがなんだかすごそうなヤツ」と言う位置付けで、その時も武井壮の私生活を興味深く見ていた。
驚いたのは、彼の持ち物に対するお金の使い方だ。

いつものタンクトップ姿から想像するに、私服もジャージにリュックとかかな、と思ったら全然違った。
時計は350万、鞄も財布もサングラスも全部一流ブランドの高価なものだった。
しかも成金趣味でなくセンスも普通に良かった。(サングラスはマルジェラだった)
いつも来ているあのタンクトップは1枚5000円。同じものを何十枚も持っていた。

武井壮のこの持ち物を見ていて、私の中でだいぶ彼のイメージが変わった。
悪いイメージにはなっていない。
単純に「貧乏な人」から「金持ちな人」になった。

私は根がひねくれているので、テレビや雑誌で「月収いくら」みたいな話を見るとだいたい「またまた~」と思ってしまう。「またまた~盛っちゃって~」と疑ってしまう。
武井壮は事務所に所属しておらず一時期は月収3500万円だったと言う。
その話を見た時「そうだろうなあ」と自然に納得している自分がいた。
持ち物を見て「金持ちな人」と認識したことで「月収3500万円」がすんなり入ってきたのだ。その事に自分でも驚いた。

話は逸れるが、私はあまり高い服や鞄を買わない。
ブランド物の服や鞄は確かに良い素材を使っている。だが材料代はほんのわずかで、そのほとんどがブランド代だ。
何故それを知っているかと言うと、私が昔高級ブランドで働いていたからだ。(途中で高い商品を売ることが馬鹿らしくなって辞めた)

そんな、ブランドに興味のない私には、ブランド代に何万も何十万も払う理由がない。
必要以上に高いブランド品は無駄でしかないと思っていた。

しかし、もし私が年収3000万になったとしよう。(月収でなく年収にするところが若干せせこましい)
新しいビジネスをはじめる、仕事仲間をスカウトする、金を借りる、何でもいい。自分が資産を持っていることが大切な場面に出くわしたとする。
その交渉に、Gショックとサンワダイレクトのロゴ入りビジネスバックで現れたらどうだろう。相手は不安に思うのではないか。

例え私が年収3000万円の金持ちだったとしても、初対面の人がそれを知る方法は無い。
私のセンスもわからない。どんなものを好む生活をしているのかもわからない。

男性の見た目は時計と靴を見ろ、とは良く言う話だ。
時計、靴、鞄あたりのブランドを見れば、その人の経済状態とセンスと生息環境(バブル系とか、意識高い系とか)はだいたいわかるだろう。
逆を言えば、初対面であればそれくらいしか判断する材料がないとも言える。

いままでは高い時計や鞄を持つ人をどこかバカにしていた。
「ブランド品にそんなにお金使うなんてバカじゃん」と、ずっと思っていた。

しかし、ブランド品は「自分の資産力とセンスを相手に理解させる」ことができる便利な証明書だ。
よくよく考えてみると、そんなに簡単に、一目で自分の資金力やセンスを表すことのできるものは他にない。
お見合いパーティの名札くらいだ。

なんて便利なグッズなんだ。

武井壮はまったくそんなつもりでブランド品を持っている訳ではないだろうが、武井壮のおかげで今までのブランド品のイメージがガラッと変わった出来事であった。

やっぱり武井壮はすごい。

90点の寿司を食べた人間の、その後の人生は幸せか

美味しいものを食べるのが好きなので色々と食べ歩いたり作って食べたりしている。

人間は毎日365日何かしらを食べる訳で、1日3食に間食を加えたら膨大な種類の料理を食べることになる。
単純計算で1年で1000食以上は食べている。

毎日料理を食べているとたまに「おおっ」と思うほど美味しいものに出会うことがある。
食べるのが好きな人間にとってこれほど嬉しいことはない。

それが、歳をとる事にどんどん減っている。
30代になった今は、数カ月に1回あるかないか、という所だろう。

悲しいかなそれは当り前のことで、美味しいものを食べれば食べるほど、随時1位は更新されていく。
最初は70点、その次が80点、90点の寿司を食べてしまったら次に「おおっ」となる為には90点以上の寿司を食べるしかない。

90点の寿司を食べた人間のその後の人生が幸せか、と言うことを最近よく考える。

寿司も、焼肉も、牛丼ですら、一度90点のものを食べてしまったら、90点以下のものには何かしらの不満が残る。
世の中のほとんどの料理の点数は90点より低いだろう。
一度90点を食べたがゆえに、その後ずっと「それ以下」の料理を食べ続ける人生がまっている。それは不幸とは言えないだろうか。

もちろん味覚の好みはあるので「60点だけどこの味めっちゃ好き」みたいなことはたくさんあるし、カップヌードルシーフードは高得点がひしめくラーメンランキングとは別のところでお気に入りリストに名を連ねている。
毎日90点以上の料理を食べようとも思っていない。70点でも充分満足だ。

それでも常に「90点以上たべたいなあ」と言う欲求不満を胸に、毎日を過ごしている。

前に、私よりはるかに色々なものを食べている美食家の人と話をした時に、この疑問をぶつけてみたことがある。
「歳を取ると美味しいものがどんどん減るんですけど、どうしたらいいですか?」
と聞くと、その人はちょっと驚いた顔をしてこう言った。
「世の中には、まだまだ自分の知らない美味しいものがいっぱいあると思いますよ」

その人は自分の好きなジャンルはかなり極めているタイプだったが、私のような悩みはまったくもっていないと言う。
まだ手をつけていないジャンルが山ほどある。たぶん死ぬまでに食べきれない。自分が食べたものなんて、ほんの一握りだと思いますよ、と。

なるほどと思った。
たかがメシの話で大げさだと思われるだろうが、その人は私よりもはるかに大きな目で物事を見ていたのだ。
ポジティブとネガティブの考え方の違いかもしれないが、その考えは私にとって新鮮だった。
焼肉を極めたら蕎麦に行けばいいじゃない。カレーだって、タイ料理だって、私は全然詳しくない。

しかし、そこでスッキリ明るい気持ちになれるほど私は素直でもなかった。
まだまだ欲求不満は終わらない。七つの大罪、暴食の罪は続くよどこまでも。

今日の夕飯は、カップラーメンシーフードをすすりながら小さな幸せをかみしめよう。

歯医者のキュイーーンはドリルじゃなくてただの水だった

若くして歯周病になってしまった。

どんな極細毛の歯ブラシを使っている人も、どんなに丁寧に歯磨きをしている人も、構造上、歯と歯ぐきの間は磨けていない。
そこに汚れが溜まって、歯石になって、歯をボロボロにしていく。

数ヶ月間、毎週歯医者に通った。
プロによるクリーニングにより、最初に歯医者に行った時は「どうしてこんなになるまで放っておいたんだ!」と歯医者さんに驚かれた歯も有難いことにやっと人並みな状態になった。
すでに失われた歯の根元の欠損は元に戻らないが、今の状態をできる限り維持しようと言う事で今は月1回歯医者にクリーニングに通っている。もう1年以上になる。

歯医者が嫌いな人は多いと思う。
中でも、あの「キュイーーン」と言う音が苦手な人は多い。

私はあれを、ずっとドリルの音だと思っていた。
細いドリルでキュイーーンと歯を削っているのかと思っていた。
クリーニング中も主にあのキュイーーンをするのだが、あれは細いドリルで歯についた汚れや歯石をガリガリ削り取っているものだと思っていた。
舌に当たったら死ぬぞ!と思って、いつも舌をつりそうなくらい奥に丸めこんで避難させていた。

ある時、歯科衛生士さんが、いつものキュイーーンを取りだして言った。

「じゃあ水で綺麗に掃除していきますねー」

あれはドリルじゃなく、ただの水だったのだ!!!

この時、私は本当に驚いた。ずっとドリルだと思っていた。

Amazonの人気商品に、ドルツのジェットウオッシャーという商品がある(買った)。
水を細く噴射して、歯を掃除する家庭用の機械だ。
私がずっとドリルだと思っていたものは、あれの強力版だった。

確かに、クリーニングの度にドリルで歯を削っていたら歯周病以上に歯が無くなってしまう。
よくよく考えてみれば当たり前の話なのだが、「あれはドリルだ」と思いこんでいた私にとって、その発見は結構衝撃的だった。

私のように、「キュイーーンが怖い」と思っている人、あれはただの水なので安心していいですよ。
歯と言うのは一度ダメになると再生しないと言う昔のファミコンゲームみたいな仕様なので、しばらく歯医者に行ってない人は今すぐ歯医者に行きましょう。これはまじで伝えたい。

「俺は歯磨きちゃんとしてるし痛いところもないし大丈夫」と言う人も、汚れは絶対にある。お前が見えてないだけだぞ!
早めに奥の方のプロにしか取れない汚れを除去してもらうことをオススメします。

余談になるが、歯医者のジェットウオッシャーは冷たい水で行うので歯に染みてとても痛い。
歯周病により歯ぐきが痩せているのでなおさら染みて痛い。
あれは水でやらなければいけない理由がなにかあるのだろうか。

家ではぬるま湯でジェットウオッシャーをしているので染みる事なく快適に掃除できている。
基本的に歯医者には歯に問題のある人がくるので、同じように不満を持っている人がいるはずだ。

これを見ている歯医者さんがいたら、是非ぬるま湯の導入を検討して欲しい。よろしくお願いします。(これが一番言いたかった)

パフェをほじるのは楽しい

昨日、ファミレスで久しぶりにチョコレートパフェを食べた。

最近はオシャレなスイーツが多いので、背の高いグラスに積まれた「わかりやすいパフェ」をあまり見ない。

少し前に、突然チョコレートパフェが食べたくなったことがあったが、いざ食べようと思うと、テンプレート的なパフェが食べれる店がなかなか思いつかないことに驚いた。
いまパフェを食べようと思ったら、純喫茶か、ファミレスか、コージーコーナーくらいしかないのではないだろうか。(一部、オシャレなスイーツ屋でもあると思うけど)

たまたまランチを食べたファミレスに、絵にかいたようなチョコレートパフェがあったので、食べた。

食べていて気付いたが、パフェは、ほじるのが楽しい。

パフェの細長いグラスは、はっきり言って食べにくい。
一枚の皿に、アイスと、生クリームと、コーンフレークとチョコレートブラウニーを平面展開してくれた方がよっぽど食べやすい。
それぞれの組み合わせもきちんと味わえる。

細長いグラスの奥に、長いスプーンを突っ込んでぼじっているうちに、アイスは溶け、チョコレートソースは混じり、個として存在していたスイーツたちはドロドロとしたなんとなくチョコレート味の甘い液体に成り下がる。
パフェは、絶対に別々に食べた方が美味しいはずだ。
そう思いながら、単調な味の液体を作業的に口に運ぶ。

でも、パフェをほじるのはなんだか楽しい。
他の食べ物では味わえない「採掘作業」がそこにはある。
アイスの溶け具合に焦り、生クリームが落ちないよう慎重に掘り進め、ポッキーの休憩を入れるタイミングを計る。

味としては別々に食べた方が美味しいが、食べるのが楽しいというこの採掘作業に私はお金を払っているんだな、なんて思わされる、久しぶりのパフェ体験であった。

余談だが、帰り際に他のテーブルを見ると、おばあちゃん3人が仲よくパフェをほじっていた。
あんみつもかわいい、モンブランでもかわいいだろう。でもパフェほどの破壊力は無い。

パフェはかわいい食べ物でもある。

ミニマリストは服の耐久度をどう考えているのか聞いてみたい

またミニマリストの話です。

ミニマリストで「それはやりすぎだろ」と思う事の中に、極端に服を減らしすぎることがある。

前にはてなで「持っているパンツは3枚です」と言う女性がほってんとりに挙がっていた。
念のため言うと、ここで言うパンツはズボンの事でなく正真正銘下着のパンティの事である。

反射的に「おいおい、パンツ3枚ってやばくね?」と、思ってしまったのだが、ブコメを見ると「さすがですね!私は7枚なのでまだまだです。」「私も3枚だよ、それくらいで充分だよね」と言うコメントで溢れていたので、驚いてしまった。

服を減らすのは各自の勝手だが、私が気になるのは「ミニマリストの人は服の耐久性をどう考えているのか」と言う事だ。

服も、下着も、靴も、使えば使う程、痛む。
件のパンツ3枚の人は、2日で2枚履いたパンツを洗濯する計算になる(洗濯中にもパンツ履いてるからね)
服も同様で、とにかく同じ衣類を高頻度で着て、洗濯すれば、加速度的に傷んでいく。

靴なんて、高頻度で使ってはいけない最たるもので、靴を履く事で靴の中には湿気が溜まるので、1日履いたら2日休ませなければいけないと言われている。
ところが、ミニマリストの人は同じ靴を毎日履く。ガンガン履く。ガンガン痛む。

「傷んだら同じものを買いかえるからいい」

と、彼らは言う。

確かに、短期で集中的に使い潰して、傷んだら同じものを買ってきて取り変えると言うのは、とてもシステマティックに見える。
しかし、服だって、靴だって、安いものではない。いいものを買っていたらなおさらだ。
キッチンのスポンジをホイホイ取り変えるのとは訳が違う。

ミニマリストにも色々あるだろうが、私はミニマリストは「お気に入りの上質なものに囲まれてシンプルに暮らす」と言う思想を持っていると認識していた。
必ずしも高価である必要はないが、質の良いものを少しだけ揃えて、それを大事に使っているイメージだ。

毎日同じ靴を履いて自ら靴をダメにしてしまう人たちは、そういう思想と真逆の方向に突っ走っていることに気づいているのだろうか。
ダメになったら同じものを買えばいいや、考えなくて良いから楽だよねー、と無邪気に言っている人たちは、使い捨ての消費物としてモノを扱っている事に気づいている上で、それを良しとしているのだろうか。

ここまで書いて、フト気付いた。
私は服が好きだからこんな事を言っているけど、もしかしたら彼らにとって、服とはキッチンとスポンジと同じ「ただの日用品」なのかもしれない。
だからあまり気にならないのだとしたら、それはそれで合点がいく。

でも、毎日履いて1年持つ靴があるのなら、2足を交互に履いて2足靴がある状態を2年楽しんだ方がいいと思うけどな。

いつか、ミニマリストの人と実際に会う機会があったら、服や靴の耐久性について、どう考えているのか一度聞いてみたい。